「視覚障がい者と健常者が当たり前にまざりあう社会」の実現にむけ、
JBFAの塩嶋理事長と松崎専務理事兼事務局長が毎月様々な情報を発信します。
皆様こんにちは。JBFA理事長の塩嶋史郎です。
日頃より日本ブラインドサッカー協会(JBFA)をご支援いただき誠にありがとうございます。
まず、本日2022年10月6日は、日本ブラインドサッカー協会が創立から20年目を迎えた記念すべき日です。あらためて、今に至るまでの長きにわたり、数十社のパートナー企業やサポート企業の皆様、個人寄付会員様、ボランティアの皆様が、協会の理念をご理解くださり、献身的にお支えいただいていることに対して、心より御礼申し上げます。
そしてこの記念すべき日に、JBFAの情報公開メディアである、「ステークホルダー・エンゲージメント」(https://stakeholder.b-soccer.jp/)の中で、私と松崎専務理事兼事務局長が月替わりで情報発信を行う「ブログ」をスタートさせていただきます。第1回は、創立記念日にちなみ、ブラインドサッカーの黎明期で私が印象深く懐かしく思い出すことについてお話しようと思います。
私とJBFAとのかかわりは、2005年、まだ私が企業に勤めているときに、ボランティアとして参画したことから始まりました。JBFAが創立されたのが2002年ですので、約3年後から今に至るおつきあいになります。そのときにブラインドサッカーに初めて触れ、“なんてわかりやすいスポーツなんだろう”、”とてもカッコ良い、スタイリッシュなスポーツだ“と感じのめりこんでいきました。
一方当時のJBFAは、まだ常勤の職員がいない状態であり、選手もスタッフもボランティアの距離も非常に近いものでした。近いという意味では、練習中に、「人間の壁」として、他のボランティアと手をつなぎサイドフェンスの代わりとなったこともあります。当時は、サイドフェンスも多くなく、ましてや専用の練習場などもなく、スタッフもボランティアも手弁当でとにかく場をつくろうという情熱につきうごかされていたのではないでしょうか?
JBFAが創立される前後については、「JBFA20年記念サイト」(https://20th.b-soccer.jp/) の中で、初代事務局長である細川健一さんと、現職の松崎事務局長の対談動画という形で詳しくご紹介しております。お時間のある時に是非ご覧ください。
今のJBFAには、「ブラインドサッカー(視覚障がい者サッカー)を通じて、視覚障がい者と健常者が当たり前に混ざりあう社会を実現すること」というビジョン、そして「ブラインドサッカーに携わるものが障害の有無にかかわらず、生きがいを持って生きることに寄与すること」という素晴らしいミッションが存在し、その下で、競技事業、大会事業、ダイバーシティ&インクルージョン事業を中心に、近年では福祉事業などもスタートして、共生社会の実現にむけ様々な事業を展開しております。20年近く前とは大きく姿を変え、今や社会を動かす力を持った躍動する組織になったのではないかと思います。大変感慨深いものがあります。
情報公開の面でもJBFAは進化を続けていく所存です。新たにブログという形も追加し、今後も引き続き、丁寧で積極的、かつタイムリーな情報公開を本サイトにて心掛け、皆様との絆を強めることで、共生社会実現への力強い歩みを続けてまいります。引き続きお力をお貸しください。
次回は松崎専務理事兼事務局長がブログを執筆されますので、是非お読みください
2022年10月6日
特定非営利活動法人日本ブラインドサッカー協会
理事長 塩嶋史郎